【創業25周年記念】3坪から始まった壁紙屋物語(2000-2025社史)

2025.07.17
【創業25周年記念】3坪から始まった壁紙屋物語(2000-2025社史)

公開日:2025.05.08

2000年5月8日、壁紙屋本舗の運営会社である「フィル」は誕生しました。
創業者は、16歳から壁紙職人として経験を積んだ、濱本 廣一(当時27歳)。

23歳で独立し、内装工事業に奔走する中、ある出来事をきっかけに「一般ユーザー向けに壁紙を販売する」ことを決意します。

それから25年の月日が流れ、会社の場所も、広さも、事業内容も、濱本の風貌も、大きく変わりました。
変わっていないのは、壁紙を「おもろい」と思った、あの頃の好奇心だけ。

折に触れ、濱本の口からスタッフに語られてきた創業からの歩み。
おおよそ無茶苦茶で、時に笑え、時にアホらしいそのストーリーは、どの部分を切り取っても大真面目で、夢と野望に満ちていました。

2025年、創業25周年を迎えたフィルの社史を、ダイジェスト版でお届けしたいと思います。

フィルの今・役員紹介

フィルの今

2023年に完成した新社屋

2025年現在、フィルは大阪市大正区の海沿いにある本社ビルを拠点に、壁紙屋本舗輸入壁紙専門店・WALPA(ワルパ)日本のクリエイター壁紙・WALLTZ(ウォルツ)など、複数のECサイトを運営しています。

本社ビル1階と東京(恵比寿)では、WALPAのリアルストアを、本社ビル2階では壁紙屋本舗のショールーム、壁紙屋本舗LABを運営しています。

スタッフはパート従業員を含め、おおよそ100名ほど。
ロジスティック、プリンティング、企画デザイン、EC運営、ストアなどの部門に分かれ、各所日々壁紙にまつわる業務に携わっています。

役員紹介

本記事のエピソードや写真にも登場する、2025年現在の役員メンバーをご紹介。
全員漏れなく現場での経験をゴリゴリに積み、今も第一線に立ち続けるフィル運営の柱です。

代表取締役・濱本廣一

代表取締役社長
濱本 廣一

2000年にフィルを設立。
10代に没頭したバンド活動ではベースを担当。5年ほど前に突然「髪の毛があるうちに」と金髪になり、トレードマークとして定着する。

出身地:大阪
マイブーム:壁紙の素材探し

壁紙屋本舗店長・林 耕一郎

壁紙屋本舗・店長
林 耕一郎

2009年入社。
新商品の企画やサイトディレクションに携わる傍ら、ジベラーマン林店長人形など、ホンポのゆるキャラを兼務。

出身地:神戸
マイブーム:日本百名山 踏破

壁紙屋本舗・マネージャー 武知 真美

壁紙屋本舗・マネージャー
武知 真美

2008年入社。
サイト運営や企画デザイン全般に携わり、驚異的なスピードで物事を処理する特殊な脳内シナプスを持つ。ホンポのマッシュルーム部代表。

出身地:奈良
マイブーム:大阪関西万博

輸入壁紙専門店 WALPA・店長 岡本 美岐

輸入壁紙専門店 WALPA・店長
岡本 美岐

2009年入社。
元アパレル業界勤務。ショールームの立ち上げ要員として入社した接客のエキスパートであり、白ワインを好むキッチンドリンカー。

出身地:横浜
マイブーム:インテリアの流行が見える新築物件巡り

プロローグ|引きこもり少年、壁紙職人になる

濱本 廣一(以下、濱本)は、1972年に大阪で生まれました。
10歳の頃からベースを弾き始め、音楽に没頭するあまり学校にはほとんど行かず、家に籠ってひたすらベースを弾く少年時代を過ごします。

肌に合わなかった高校は、数ヶ月で中退。

高校を中退した頃の濱本(16歳)高校を中退した頃の濱本(16歳)

中退後、一回り歳上のメンバーとファンク・フュージョンバンドを組み、ますます音楽に没頭しました。
スタジオ代やベースの弦を買うためのお金を稼ぐため、バンドメンバーに紹介された内装工事店で壁紙職人に弟子入りしたのが、16歳の時のことです。

さまざまな現場に出向き、内装をきれいに仕上げていく壁紙職人の仕事は性に合っていたのか、嫌だと思うことはありませんでした。

バンド活動に打ち込む濱本

音楽制作に再び没頭したいと小豆島に渡り、1年半ほど海苔漁や魚釣りをしながら生計を立てた時期もありましたが、1996年、23歳の時に壁紙職人として独立。「Rasta インテリア」という屋号で、内装工事の個人事業を始めます。

その壁紙、売ってくれへん?

転機となったのは、独立して数年が経過した1999年のある日。

現場で施工する濱本

現場で知り合った電気工事職人に「その壁紙、売ってくれへん?」と持ちかけられた濱本。
その場で実演しながら貼り方を教え、のりを付けた壁紙と一緒に道具も貸し出しましたが、内心「素人に貼れる訳がない」と思っていました。

ところが後日、笑顔で「きれいに貼れたから、もうひと部屋分売ってほしい」と言われたのです。
てっきり失敗して施工の追加依頼が貰えると思っていた濱本は、予想もしない結果に心底驚きます。

この出来事が「一般向けの壁紙販売」へと踏み出すきっかけとなりました。

2000年|始まりは3坪の事務所

初めてのパソコン購入と、壁紙通販サイトの開始

壁紙小売業への道を開くため、濱本は2000年、27歳のときにフィル(※設立当時は有限会社)を立ち上げました。

会社の登録申請を記入している時に流れていた音楽が、フィル・コリンズ(Phil Collins)だったことが社名の由来となりましたが、登録した「Fill(フィル)」は、スペルミスだったことが後に発覚。
今でも訂正しようか迷っています。

大阪の南堀江で3坪ほどの事務所を借りて看板を掲げ、内装工事業に加え、壁紙の販売を始めました。

初めて購入したパソコン職人時代の濱本の一番弟子(3坪の事務所前にて)


1990年代後半から急速に普及し始めていたパソコンを初めて購入したのも、この頃でした。

初めて購入したパソコン

当時まだ駆け出しだったインターネットの通販サイトを見ていた濱本は、さまざまなアイテムが売られていることに気づき「壁紙も通販で売ってみよう」と思い立ちます。

これが、おそらく日本初となる(※当社調べ)一般ユーザー向け壁紙通販サイト「壁紙屋本舗」の始まりでした。

開設から間もない壁紙屋本舗・自社サイト開設から間もない壁紙屋本舗・自社サイト

内装工事業だって全力

それまで行っていた内装工事業も継続しながらの、通販サイト立ち上げ。

内装工事で天井に壁紙施工
高所作業用の装着具
高所作業用の装着具

サイトの準備はもちろんですが、内装工事業のクオリティを高めるための努力だって惜しみませんでした。
高所作業用の器具を装着し、大阪ドーム(※現・京セラドーム大阪)の外周で夜な夜な特訓!

2001年|楽天市場で初の壁紙販売店に

まだDIYという言葉も概念も、今ほど社会に浸透していなかった時代。
「自分で壁紙を貼りましょう」という通販サイトを立ち上げたところで、当然最初は全く売れませんでした。

2001年、楽天市場初の壁紙販売店となったのを機に自社サイトをクローズするも、初月の月商は2万円
出航早々沈みかけの船出でしたが、壁紙のほか床材、カーテンなど商品展開の幅を広げ、徐々に売り上げを伸ばしていきました。

2002年頃の壁紙屋本舗・楽天市場店TOPページ2002年頃の壁紙屋本舗・楽天市場店TOPページ

2004年に壁紙屋本舗初となる、楽天市場のショップ・オブ・ザ・イヤーを受賞。その後も優良ショップとして数々の賞を受賞していきます。

2004年楽天市場ショップ・オブ・ザ・イヤー2004年 楽天市場ショップ・オブ・ザ・イヤー受賞式
若き日の楽天・三木谷社長(画像左)と、ちゃんとカメラ目線の濱本。

2002年|シアトルより、壁紙探して三千里

2002年のある日、一人のおばあちゃんが、壁紙の切れ端を片手に壁紙屋本舗を訪ねてきます。

国際線で客室乗務員をしていたというそのおばあちゃんは、アメリカのシアトル在住。
リフォームで貼り替えてしまった「松の木の絵柄の壁紙」と同じ壁紙をもう一度貼りたいと、帰国の機会に方々を探し回っていました。

おばあちゃんが探していた壁紙切れ端の画像

額装して壁に飾っている「鶴の絵」の背面には「どうしても、この松の木の壁紙がいい」と話すのです。

松の木の壁紙を貼りたかった壁もう一度「松の木の壁紙」を貼りたかったという壁

濱本はこの壁紙をスキャンさせてもらい、国内外で探し続けました。
数年が経った2005年、渡米の機会にシアトルまでおばあちゃんを訪ねた時にも朗報を届けることはできなかったのですが、この話には事後談があります。

2012年、ニューヨークの「SECONDHAND ROSE(※現在は閉店)」というビンテージ壁紙のセレクトショップに足を運んだ時のこと。

SECONDHAND ROSEの店内SECONDHAND ROSEの店内
木箱を積み上げた圧巻の景色は、WALPA店舗内装のインスピレーションにもなった

SECONDHAND ROSEで見つけた酷似のビンテージ壁紙

店内に積まれた膨大な種類の壁紙の山から、紙の質感、背景の模様などが「松の木の壁紙」と酷似したビンテージ壁紙を見つけたのです。

「SECONDHAND ROSE」の店主によると、この壁紙はアメリカの西海岸で製造されていたものだといいます。
こうして「壁紙探しの旅」は、アメリカ西海岸にロックオンされることとなりました。

アメリカ西海岸の壁紙屋アメリカ西海岸で訪れた壁紙店

アメリカ西海岸の壁紙屋(店内)アメリカ西海岸で訪れた壁紙店(店内)

今でもアメリカに行く度にさまざまな壁紙屋を巡り、この「松の木の壁紙」を探し続けています。

このおばあちゃんとの出会いは、誰かにとって唯一無二の壁紙があることや、壁紙が誰かの人生に彩りを与えていることを、濱本の心に深く刻む経験となりました。

2005年|全人類職人化計画、始動

現在、壁紙屋本舗のビジョンとして打ち出している「全人類職人化計画」が始動したのは、2005年のこと。

みんなのリフォームの案内人 アフローマン壁紙屋本舗サイトの構想が記された濱本のメモ

壁紙屋本舗サイトのオープン以降、経験や知識がなくてもセルフリフォームに挑戦してもらえるノウハウを発信していましたが、そういったコンテンツをより充実させるために明確な柱として掲げたのが「全人類職人化計画」です。

「全人類職人化計画」始動後の壁紙屋本舗TOPページ「全人類職人化計画」始動後の壁紙屋本舗TOPページ

現在そのコンテンツは、壁紙屋本舗の公式WEBマガジン「ホンポのよみもの」に集約されています。

2007年|「みんなのリフォーム」スタート!

2007年、それまでサイト内で紹介していた「貼れました報告」というコーナーを「みんなのリフォーム」としてコンテンツ化しました。「みんリフォ」という愛称で定着し、DIYのアイデア共有の場として2025年現在もホンポユーザーに親しまれています。

壁紙屋本舗・楽天市場店でみんリフォの案内役を勤めていたのは、アフロパッチマン(以下)。

みんなのリフォームの案内人(旧)アフロパッチマン

2006年の正月、濱本の初夢に出てきた「パッチを履いたアフロのおじさん」を、武知が描き起こしキャラクター化したもので、その後しばらくホンポのマスコットキャラクターとして活躍します。

アフロパッチマンに扮した社員たちこの頃の写真にはアフロが多い(画像左は、店長・林)



2025年現在のみんリフォ案内役は、カベレオン!

みんなのリフォームの案内人(2025現在)カベレオン

カベレオンは、2022年にフィルが発売した絵本「となりのへやはどんなへや?」の主人公。
着ぐるみまで制作し、徐々に地域での守備範囲を広げています。

2025年大感謝祭 カベレオンと店長・林2025年2月に本社ビルで行った大感謝祭イベントにて
店長・林と共に会場案内をがんばるカベレオン

2008年|暗黒の大借金時代…フィル最大のピンチを絶叫ニワトリが救う?!

2008年、リーマンショックが世界を揺るがします。
フィル内装工事部門の取引先も次々と倒産に追い込まれ、大借金を背負う暗黒時代に突入。

明日の見えない毎日をひた進む中、濱本はとあるバラエティ番組で使用されていたアメリカ製のおもちゃに目を付けます。

それが、この「絶叫ニワトリ」。

絶叫ニワトリ腹部をにぎると「ギィヤアァーッッ」と鳴く

これが大当たりし、配送ブースでは一日中、検品されるニワトリの絶叫が鳴り響きました。
フィルを倒産の危機から救ったのは、壁紙とは無縁なこのニワトリだとか、そうでないとか。

2009年|内装工事業からの完全撤退

「壁紙の貼り方教室」始める

インテリア催事での貼り方教室貼り方教室を先導する後ろ姿は、若き日の店長・林

暗黒時代の余波を引きずりつつあるこの頃、東京・目黒の家具店で初めて「壁紙の貼り方教室」を開きます。
Webコンテンツで施工のノウハウを紹介していましたが、リアルな体験から「できる」という実感を得てもらいたいという思いがありました。

初めて電気工事職人に壁紙を売った時のような「劇場型ハウツー」への原点回帰ともいえるもので、展示会や催事など実施の場を広げていきました。

壁紙小売業への専念を決意

そして同時期に、フィル創業以来二本柱で行ってきた内装工事業を全て他社へ引き継ぎ、壁紙の小売業に専念することを決意します。

これは決して、壁紙販売の業績が良かったからではありません。

事業縮小のため元々倉庫だった場所に事務所を移転事業を縮小し大阪・南堀江の小さな倉庫に事務所を移転

大きな負債を抱えた、厳しい局面。
事業縮小での取捨選択を余儀なくされる中、不採算ながらも当時まだ未開の地だった「壁紙の小売業」一本で挑戦しようという濱本の決断でした。

壁紙職人として働いていたスタッフの多くが去ることになる苦渋の選択でしたが、これが無ければ現在のフィルは無かったともいえる、大きな転機となりました。

アレサの入社

大借金を背負い、事業縮小を余儀なくされた暗黒の2008年〜2009年でしたが、一筋の光がありました。
それは、アレサの入社。

2009年に入社したアレサ

TV番組で紹介されていた子犬を見た瞬間、居ても立ってもいられなくなった濱本。
翌日には一路横浜へ出向いて引き取り、濱本家にやってきたのがアレサ(♀)です。

社長室でくつろぐアレサ

2009年、生後2ヶ月の頃から毎日出社し、商材の撮影モデル、お客さまのお出迎えやお見送り、スタッフのランチ食べこぼし清掃など、代わりの効かない重要な任務を勤め上げました。
濱本家だけではなく、スタッフの心の拠り所となっていたフィルの永久名誉会長。

2020年11月1日、11歳で天国に旅立ちましたが、今でもアレサは、壁紙屋本舗サイトの至る場所で活躍しています。

2011年|輸入壁紙専門店・WALPA(ワルパ)オープン

2010|初めての壁紙ショールーム

2010年、輸入壁紙の取り扱いをスタートし、当時の大阪・千代崎の事務所に「壁紙ショールーム」をオープン。
当時は、国産壁紙や輸入壁紙のサンプルブックを取り扱う壁紙屋本舗のショールームとして運営していました。

南堀江・世界の壁紙ショールーム 接客を担当した現・WALPA店長の岡本現・WALPA店長の岡本
大阪・千代崎のショールームで接客を担当していた

この頃日本に輸入されていた壁紙は、輸入商社や、プロのコーディネーター、設計士向けのデザインで、そういった人たちが顧客に提案しやすく、使いやすいものが主流でした。

もっと「おもろい壁紙」は世の中に無いのか?
世界の壁紙に興味を持ちインターネットで調べると、まだまだ日本に紹介されていないおもろいデザインやすてきなブランドの壁紙があることを知ります。

南堀江・壁紙ショールーム大阪・南堀江の倉庫に移転後の壁紙ショールーム

当時、濱本がそういった世界の壁紙ブランドにコンタクトを取り「なぜ日本で販売しないのか」尋ねると「日本のインテリアメーカーや商社に何度アプローチしても、そんな派手なデザインは日本人には受け入れられないと断られ続けている」という答えが返ってきたのです。

それならそんな壁紙を直接輸入し、日本で紹介するためのサイトを作ろう。
そうして生まれたのが、WALPA(ワルパ)です。

2011|輸入壁紙専門店・WALPA(ワルパ)オンラインストアオープン

オープン当時のWALPAサイトTOPオープン当時のWALPAサイトTOP

こうして2011年12月、世界中の壁紙を販売する輸入壁紙専門店・WALPAのオンラインストアをオープンしました。

SCRAPWOOD WALLPAPERとの出会い

輸入壁紙の中でも特に注目を浴びたのは、オランダのNLXLというブランドから仕入れた、SCRAPWOOD WALLPAPER(スクラップウッドウォールペーパー)シリーズ。

SCRAPWOOD WALLPAPER PHE-03

デジタルプリントを駆使した、同じ柄の繰り返しがないノーリピートの木目デザインの壁紙は、廃材を使用した作品で国際的に有名なデザイナー・Piet Hein Eek(ピート・ヘイン・イーク)とNLXLのコラボにより実現したもので、濱本自身、初めてこの壁紙を見た時に、本物の木材の写真かと思うようなリアルさに息をのみました。

サイトに掲載すると「本当にこれは壁紙なの?」「実物を見れる場所はありますか?」など、多くの問い合わせが入るようになります。



この壁紙の魅力を伝えるためには「実物を手に取れる場所が必要」だと思った濱本は、急ピッチでリアルストアの立ち上げに向けて動き出しました。

2011年11月末に東京・渋谷にDIY可の空き物件を見つける2011年11月末に東京・渋谷にDIY可の空き物件を見つける

内装のほとんどをスタッフがDIYで施工店舗内装のほとんどをスタッフがDIYで施工

初めて「SCRAPWOOD WALLPAPER」の壁紙を手に取ったその日から、わずか4ヶ月後の翌2012年2月。
東京・渋谷にWALPAの第1号店をオープン。

東京・渋谷にオープンしたWALPAのリアルストア第1号店東京・渋谷にオープンしたWALPAのリアルストア第1号店(現在は恵比寿に移転)

その後2012年〜2014年にかけて、東京、大阪、名古屋、福岡に、相次いでリアルストアをオープンします(※名古屋、福岡の店舗はその後閉店)
この時期から、取材によるメディア露出が急激に増えていきました。

世界初の試み!車に壁紙を貼る

「社用車(ホンポカー)に壁紙を貼る」というミッションをスタートさせたのも、2011年。
WALPAを立ち上げたばかりの当時、輸入壁紙の魅力を発信するために濱本が実行した世界初の試みでした。

壁紙を貼った車でインテリアの展示会場へ壁紙を貼った車でインテリアの展示会場へ
NLXLの創業者 Rick Vintage,Esther Vlakもオランダから駆け付けてくれた

2011年から2025年の間に、計8回のお色直し。
しばらくは輸入壁紙を中心に貼り替えていましたが、最新のホンポカーには壁紙屋本舗オリジナルのシール壁紙が貼られています。

車への壁紙施工の様子やこれまでのホンポカーの歴史は、こちらのコラムにもまとめられています。

2013年|オリジナル壁紙の製造をスタート

オリジナルシール壁紙 Hatte me!

2013年には、Hatte me!(ハッテミー)というオリジナル壁紙の製造をスタート。
水回りやお風呂でも使えるビニール素材のシール壁紙で、タイル柄を中心に多彩なデザインを展開。現在も新柄が追加され続けており、壁紙屋本舗の大人気アイテムの一つとなりました。

Hatte me!の開発以降も新たな壁紙製造に向けて動いていましたが、機材や素材の質などが影響し、中々思うようには進みませんでした。

2014年|日本のクリエイター壁紙ブランド・WALLTZ(ウォルツ)誕生

WALLTZブランド画像

2014年に、日本のアーティストやデザイナーと手を組み、新しいMADE IN JAPANの壁紙を世界へ発信していくための壁紙ブランドWALLTZ(ウォルツ)が誕生します。

立ち上げから10年の節目となった2024年。個性の光る"OMOROI"壁紙に出会える場を、日本に留まらず世界に向けて発信するため、グローバルサイトへとリニューアルオープンしました。

2015年|大阪市大正区に本社ビル完成

2015年10月に、大阪市大正区に建設したビルに本社を移転。

2015年に完成した本社ビル

それまで南堀江に実店舗を構えていたWALPA大阪も、本社ビルの1階で「WALLPAPER MUSEUM WALPA / OSAKA」としてリニューアルオープンしました。

店舗内の木箱を積み上げたような壁紙のディスプレイは、濱本が2012年に訪れたニューヨークのビンテージ壁紙店「SECONDHAND ROSE」の内装からインスピレーションを得たものです。

輸入壁紙専門店・WALPAの店内

翌2016年には、本社ビルから10分ほどの大正区・千島団地に、壁紙屋本舗のショールーム「壁紙屋本舗LAB」をオープン(※2025年に本社ビルに移転)

壁紙屋本舗LAB看板(旧・千島団地)
壁紙屋本舗LAB店内(旧・千島団地)

大正区やUR都市再生機構と一緒に、DIYによる新たな暮らしの発信拠点として始動します。

2019年|オリジナル壁紙の製造にアクセル全開

2013年のオリジナル壁紙発売以降も、新たな壁紙の製造について模索し続けていた濱本ですが、2019年、壁紙製造業へのアクセルを踏み込みます。
この先もずっと壁紙を楽しみ続けられる未来に向け、自分たちにしか作れない「おもろい壁紙」や「環境負荷を抑えた壁紙」の製造を本格化させました。

2020年に発売した水だけで貼れる壁紙 Hattan(ハッタン)を皮切りに、2021年〜2022年にかけて亜麻素材の壁紙 FLAX WALLPAPER(フラックスウォールペーパー)Food Paper(フードペーパー)丸だき和紙など、土に還る天然素材の壁紙を相次いでリリース。

2023年に発売したEASY WALL TAPE(イージーウォールテープ)は剥離紙のゴミが出ないシール壁紙で、施工の手軽さも相まってSNSなどでも大きな注目を浴びています。

2023年|新社屋の完成

製造業の本格化に伴い、新たな印刷機を導入するためのスペースが必要になったこと。
コロナ禍でも皆で距離を保って集えるスペースを作りたかったこと。
自社内の撮影スタジオをより充実させたかったこと。

こういったいくつかの背景が重なり、大正区の本社ビル敷地内に新社屋の建設をスタート。
2023年1月に完成します。

2023年に完成した新社屋

内装をあえて、未完の状態で引き渡してもらった新社屋。
スタッフ総出で下地を整え、壁紙を貼りました。

濱本のパテ実演職人時代はパテが一番好きだったという濱本の実演講習

パテを練る
練ったパテをパテ板に

普段の業務で頻繁に壁紙を貼るスタッフは、撮影・企画部隊など社内でもごく一部。
多くのスタッフが初めてパテを練り、下地の処理から壁紙の施工までを体験しました。

新社屋施工の様子

新社屋2階の女子トイレ新社屋2階の女子トイレ

新社屋6階の男子トイレ新社屋6階の男子トイレ

新社屋のトイレはそれぞれ、テーマに沿った世界観でスタッフがコーディネートし壁紙を選んでいます。

2025年現在も下地むき出しの壁が残っていますが、新製品の試し貼りが日常茶飯事のホンポ。
空白の壁はいくらあっても困りません。

6階建ての新社屋からは、よりきれいな夕焼けが望めるようになりました。

新社屋からの眺め

2025年|壁紙屋本舗LABを本社に移転

2016年に大正区の千島団地にオープンしたショールーム、壁紙屋本舗LABを2025年2月末で閉店。
同年4月に、大正区の本社ビル2階でリニューアルオープンしました。

2025年本社に移転した壁紙屋本舗LAB

徒歩圏内とはいえ、微妙に距離のあった「壁紙屋本舗LAB」と「WALPA大阪」を、同じ空間で体験してもらいたいというのが移転の経緯。

壁紙屋本舗のアイテムを探しに来た人、輸入壁紙ってどんなものだろうと来店した人、それぞれが互いに触れられる環境で、より自分にフィットするアイテムに出会える可能性を広げていけたらと思っています。

エピローグ|フィルのこれから & フォトギャラリー

フィルのこれから|濱本 廣一より、皆さまへ

濱本とNLXLのRick濱本とNLXLのRick

2000年の創業時、壁紙を一般の方向けに販売したいと思い、この会社を立ち上げました。
当時「一般の人が壁紙を貼ることはない」ましてや「インターネットで壁紙が売れるわけがない」誰もがそう言う中での創業でした。

賃貸に住む人でも壁紙を楽しめたらという思いで、2010年に「はがせる壁紙」や「はがせる糊」の開発を始めた頃も、どの壁紙メーカーや接着剤メーカーの方からも「賃貸で壁紙を貼りたい人なんかいない」「そんな需要はない」と協力を断わられました。WALPAを世に出した時には「こんな派手な壁紙売れるわけがない」「たかが壁紙に一般の人が高いコストをかけるわけがない」「日本人はもっと無難な壁紙を好んでいる」と、業界のプロと言われる方々は口を揃えました。25年経った今、世の中は変わり、世界中で当たり前のように「はがせる壁紙」が販売されています。

日本でも、ホームセンターやECサイト、ECモールでさまざまなデザイン、素材の壁紙が売られるようになりました。25年前よりも、一般ユーザーが壁紙に触れる機会は増え、市場が広がっているかのように見えますが、自身で壁紙を選び、自分で施工する人はまだまだ少数だと思います。

仮画像

もっと気軽に、自分の好きな壁紙を、自身で選び、自分で貼る文化を広めたい。壁や床などの内装を、もっと自分らしい色や柄で自由に楽しんでほしい。

これからもおもろい壁紙を作り、世界中に届け、そして世界中から集めた壁紙を楽しんでもらいたい。そんな人生の豊かさ、楽しさ、わくわくを、これからもフィルは、壁紙を通して発信し続けていきます。

最後に、フィルに関わってくれたスタッフのみんな、メーカーさん、海外の壁紙ブランドの方々、デザイナーの皆さん、問屋さん、配送業社の皆さま、システム会社の皆さま、アレサ、そして壁紙屋本舗、WALPA、WALLTZで壁紙を購入していただいたユーザーの皆さま、これまで私たちに関わっていただいた全ての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

濱本 廣一(署名)

フォトギャラリー

25年分の膨大な写真の山からピックアップした、フィルの思い出フォトギャラリー!

旧・フィル事務所
何を準備しているのか不明な店長・林
創業当初からのフィルを見守るシガーマン
創業当時からのスタッフ・角野
アレサ
渡米中の濱本、壁紙屋本舗Tシャツをまとい
車に壁紙施工中の濱本と林
ホンポカー@道頓堀
オランダの新聞でホンポカー紹介
旧事務所にて
バリンブラザーズ
ヨーロッパでの壁紙買い付け
大正クラフトライフマーケット
大正クラフトライフマーケット WALPAカフェ
NLXL関係者ジェフリーと(クレーム中なのに満面の笑顔)
ホンポカー完成!
新歓6階カフェにて濱本の誕生日(2023年12月7日)
展示館にカベレオンの絵本アイテム出展
2025春新入生歓迎会




聞き手・書き手uematsu

壁紙と酒を愛するホンポのWebコンテンツ担当。
2018年入社。入社数日目の全体月例で、濱本が創業からの歩みを写真と共に紹介してくれました。
それまで割とフラットに生きてきた私の心は、やばい会社に入ってしまったと打ち震えました。